現役時代に3冠王を3度獲得し、監督として中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏が9月13日、TBSの情報番組「サンデーモーニング」に生出演し、9日に86歳で亡くなった張本勲さんを追悼した。
ロッテ時代に張本さんとともにプレーした落合氏は、「あの一言がなかったら、落合博満という人間はプロ野球界に存在しなかったと思います」と、恩人としての存在を語った。この記事では2人の関係と、張本さんの経歴を整理する。元記事はこちら。
落合氏が語った訃報を聞いた瞬間
落合氏は「10日の仕事に行く前に息子から電話がありましてね、“張本さんが亡くなったよ”って言うから、“え?うそ”っていうのが、第一声でした」と、訃報に驚いた様子を明かした。「8月にサンデーモーニングに出てから日がたってないわけでしょ。なんで亡くなったの?っていう…その思いでいっぱいですよ」と続け、動揺を隠せない様子だった。
2人の出会いのエピソード
落合氏と張本さんが初めて出会ったのは1980年、落合氏がロッテでファームでくすぶっていた時期だったという。「張本さんが山内監督に“おい、オチっていうやついるから1軍に上げてゲームで使ってみろよ”っていうふうにアドバイスしてくれて、それで1軍に上がっていって初めて会って」と、当時の経緯を振り返った。
初対面での張本さんの言葉について、「“おっお前がオチか。頑張れよ。なにか分かんないことあったらなんでも聞きに来いよ”っていうのが最初でした」と明かし、「あの一言がなかったら、落合博満という人間はプロ野球界に存在しなかったと思います」と、張本さんへの深い感謝の思いを語った。
張本勲さんの経歴
張本さんは1940年6月19日生まれ、広島市出身。幼少期の事故で右手が不自由になったことをきっかけに左利きとなり、大阪の浪華商業高校(現大体大浪商)では投手としても活躍したが、左肩を痛めたことから打者に専念することになったとされる。
1959年に東映(現日本ハム)へ入団すると、左右に打ち分ける広角打法で1年目から外野の定位置を獲得し、新人王を受賞。3年目の1961年、21歳の若さで首位打者に輝き、4年目の1962年には球団初のリーグ優勝に貢献し、最高殊勲選手(MVP)にも選ばれている。
「安打製造機」としての実績
張本さんはその後、巨人、ロッテでもプレーし、プロ野球歴代最多となる通算3085安打を記録。「安打製造機」の異名で親しまれた。首位打者を7度獲得しており、これはプロ野球記録となっている。
そのほかにも、最多安打3度、最高出塁率9度、ベストナイン16度を記録するなど、球史に残る名打者として活躍した。こうした実績が評価され、1990年には野球殿堂入りを果たしている。
解説者としての「喝!」「あっぱれ!」
引退後は野球評論家として活動し、「サンデーモーニング」のスポーツコーナー「週刊御意見番」で「喝!」「あっぱれ!」を入れる辛口評論家として、野球ファン以外にも広く知られる存在になった。
是々非々で選手や監督のプレーを評価するそのスタイルは、時に賛否を呼ぶこともあったが、長年にわたり日曜朝の情報番組の名物コーナーとして親しまれてきた。2021年12月26日の放送をもってレギュラー出演を卒業したが、その後も不定期で生出演を続け、今年8月2日の放送回にも出演していたという。
晩年まで続いた現場への関わり
張本さんは、レギュラー卒業後も不定期でサンデーモーニングに生出演を続け、野球界への関心と発信を最後まで絶やさなかった。落合氏が驚きを隠せなかったのも、つい1カ月ほど前まで元気な姿を見せていたことが背景にあるとみられる。
長年にわたり第一線で活躍し続けた張本さんの存在は、多くの野球関係者やファンにとって大きな支えになってきた。
プロ野球記録として残る首位打者7度
張本さんが記録した首位打者7度という数字は、今なおプロ野球記録として破られていない。長年にわたり高い打率を維持し続けたことの証であり、単発のブレイクではなく、キャリアを通じて安定した実力を発揮し続けた選手だったことを物語っている。
通算3085安打という記録も、プロ野球史上最多の数字として、多くの後進の目標となってきた。イチロー選手をはじめ、後の世代の選手たちがこの記録をどう意識してプレーしてきたかについても、これまで多くの場面で語られてきた。
指導者としての一面
今回、落合氏が明かしたエピソードからも分かるように、張本さんは現役時代から後輩選手への声かけを大切にしてきた人物だったとみられる。ファームでくすぶっていた落合氏に目を留め、1軍への昇格を後押ししたという行動は、単なる名選手にとどまらない、指導者としての一面をうかがわせるものだ。
解説者となってからも、若手選手への苦言や激励を惜しまなかった張本さんの姿勢は、辛口でありながらも野球界全体の成長を願う思いの表れだったといえる。
今後の焦点
落合氏をはじめ、張本さんから薫陶を受けた選手や関係者は数多い。今後、追悼の言葉やエピソードがさらに広がっていくとみられ、張本さんが日本の野球界に残した功績が改めて振り返られる機会が増えそうだ。
「喝!」という言葉とともに親しまれた張本さんの存在は、今後も多くの野球ファンの記憶に残り続けることだろう。


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